女の子の人生、きいてみよう #06 中編

目の前のことをひとつひとつやっていくこと

シンガーソングライター Ka-Na(植村花菜)

自分で選ぶこと。
それは、責任を背負うこと。

Ka-Naさんの歌声が響く。
14年分の思い出を込めた特別な10分間。
それは、聴き手の心の中で、それぞれの記憶とリンクする。
「あなた」の歌が、「わたし」の歌として流れはじめる。
気が付けば泣いていた。

選んだものを大切にする。
大切にしたものに責任をもつ。
これは決意表明だ。
そして、それは人生の宝物になる。

Ka-Naさんの言葉は、足踏みしたわたしの背中を押してくれた。

結婚して引退か、茨の道でも音楽を続けるのか

結婚して引退か、茨の道でも音楽を続けるのか

結婚して引退か、茨の道でも音楽を続けるのかと思った時に、わたしには音楽しかないと

Ka-Na
デビューしたのは2005年なんですが、大阪で開催されたストリートミュージシャンオーディションでグランプリをいただいたことがきっかけだったんですね。でも、グランプリが決まった時、実はデビューを一回断ったんです。19歳からギターと作詞作曲を始めたので、始めて10ヵ月くらいでグランプリをいただいてしまったわけで、ペーペーの「ぺ」の字にもならない状態でした。下積みもなく、地に足のついていないこんな状態でデビューなんかしたら絶対その先が大変なことになるに決まっています。でも、「第一回大会のグランプリが断ってしまうと、第二回、三回と続かないから、断らんといてくれ」と大人の人たちにめっちゃ言われてしまい……。そんな経緯があった末に、結局お受けすることになり、育成期間を経た3年後の2005年にメジャーデビューするという流れがありました。
千原
育成期間を経てデビューに至ったと思いますが、デビューしてからはどうだったんですか?
Ka-Na
初めてヒットした「トイレの神様」のリリースが2010年で、それまでの5年間は全く売れていませんでした。でも、不思議と焦りはなかったんです。出すアルバム、出すアルバム、軒並みヒットしなかったのですが(笑)、毎回ものすごく一生懸命つくっていて。「次はこういうのを作ってみよう」とか、常に挑戦していたから、自分としては毎回やり切っていた感覚があった。だから、「売れへんからどうしよう?」とかはなかったんですね。その時々で与えてもらった仕事をとにかく一生懸命やろう、と。だからその5年後に、契約が切れるという空気になった時は「どうしよう? 自分には向いてないんかな?」って急に弱気に。
当時お付き合いしている人がいたんですが、ふと「このままこの人と結婚して、田舎にでも引っ越してのんびり暮らそうかな」と思ったことがありました。その瞬間「ヤバイ!」と思った。これは現実から逃げている。辛いことから逃避して、楽な方へ行こうとしているって。
千原
夢を追うことに加えて、女性の場合は結婚や出産など、男性よりも物理的にも精神的にも、社会的にも負担が多いような気がしています。その葛藤とかもありますよね。
Ka-Na
そうですね、ありましたね。「トイレの神様」の歌詞の中にもあるのですが、8歳の時に歌手になると決めたのと同じくらい“気立ての良い花嫁さんになる”ことが夢でした。「歌手になりたい、でも、結婚をしていいお母さんにもなりたい」と。
だから「ホンマはどうしたいねん?」と自問自答しました。小さな頃から歌手になると決めて生きてきて、その頃の夢を志半ばでやめてしまうのか。もしくはどうなるかわからへんけどずっと歌を続けていきたいのか。どっちなんやと。私の性格って竹を割ったように両極端なんですよ。0か100しかない。やっぱり夢は志半ばでは諦められない、と。
彼氏はとても優しい人だったので、甘えてしまう自分がいました。「結婚しようかな。この人と一緒にいれば自分は楽できるから」という気持ちになっていたのも確か。「この人と一緒にいたら甘えてまう。自分を律しられへん」と思ったので、結婚して引退か、茨の道でも音楽を続けるのかと思った時に、わたしには音楽しかないという結論に至り、その瞬間に「よし、この人と別れよう」と決めていました。
千原
彼氏、かわいそうですね(笑)
結婚して引退か、茨の道でも音楽を続けるのか
Ka-Na
そう(笑) メジャーとの契約が切れても、例えばバイトをしながらライブハウスとかで活動するのもいいなと思って。「金銭的な問題はどうでもいい、私は音楽がやりたいんや」と。メジャーだけがすべてじゃない。とにかく音楽に集中するために彼氏はいらないと思った。誰にも甘えず音楽だけのことを考えようと、オートロックもついていない安くて小さいアパートに引っ越して「ここでまた一から出直すんや」となったのが2010年。
その後「トイレの神様」ができて、それが自分でも想像つかないくらいのヒットになった。契約も切られずに、メジャーで続けさせてもらえた。自分が「これに賭けるんや」っていう覚悟があったから生まれた作品だったと思うんですよね。あの時決断していたことがあの曲に繋がったと思います。
千原
曲が売れてきた時というのはどういう感じでした?
Ka-Na
最初は怖かったですね。3月のリリースやったんですけど、その前から既に世の中がざわついていたんですよ。「すごい曲がある」って。ラジオ局のFM802から火が点いて、他のラジオ局にも飛び火していきました。ネットの掲示板がパンクするくらい。口コミでもざわざわしてきて。
リリースの前に“「トイレの神様」ヒットの予感”と新聞が一気に取り上げてくれたことがありました。
その時にめっちゃビビって。そんな状況5年間で一度もなかったわけで。それまでどこも取り上げてくれなかったのに、リリースの一週間くらい前からテレビや新聞がわーっとなった。
子どもの頃から日記をつけているんですが、その日のビビったことも日記に書いていました。「世の中の期待に応えられるのかな?」「この重圧に耐えられるのかな?」という不安と、今まで5年間売れなくても、どんな小さな仕事でも一生懸命やってきたじゃないか。仕事の大きさじゃなく、目の前の仕事を一生懸命やってきたじゃないか。だから、これから先も人がどう思おうが、注目されようが、とにかく今までと同じように一つひとつの仕事をただやればいいんじゃないか、と。そうしているうちに気持ちが落ち着いていました。
結婚して引退か、茨の道でも音楽を続けるのか
Ka-Na
千原さんはプレッシャーに押しつぶされそうになった経験はないですか?
千原
押しつぶされるほどはないですが、桑田佳祐さんの「がらくた」のジャケットを手掛けた時は、桑田さんとの仕事がずっとやりたかったことだったので、「え?本当にやるの?」という感じがありました。その時は確かに心がざわついて、一番の夢だったし「これが終わって、夢が叶った後はどうしたらいいんだろう?」って、漠然とした心配は抱えていました。ヒットだってそうですよね? ヒットしたいと思っていても、それが実現してしまうとまたそこからが大変ですよね。
結婚して引退か、茨の道でも音楽を続けるのか
Ka-Na
日記に書いたように、とにかく売れなかった時代と変わらず、大きな仕事も小さな仕事も同じように真摯にやっていこう、と思えたのはよかった。舞台に立つ時って、人それぞれだと思うんですけど、ほどよい緊張感がいいパフォーマンスを生む人もいれば、私は緊張するとうまく歌えないタイプなんです。それを自分で知っているので、常に平常心を保つようにしていて。紅白歌合戦も全然緊張しなかったし、大阪城ホールの1万人以上のコンサートでもいつもと一緒だった。
千原
紅白ってこちらにも緊張感伝わってきますよね。
Ka-Na
生放送ですし、舞台転換とかが大変で一分一秒を争う状況なんですね。だから、舞台裏ではスタッフさんなど周りがピリピリしています。だから、「これに飲まれたらアカンわ」って。
千原
僕、Ka-Naさんを見ていたの覚えてます。聴き入りました。
Ka-Na
ありがとうございます。うれしい。最初、NHKから「曲が長いから削ってください」って言われたんです。でも、おばあちゃんと一緒に暮らした8歳からの14年分くらいの思い出を、10分に凝縮しているので、この曲は削られへんて。削って削って削ってあの形やから。曲ができた時も、レコード会社の人が「こんなに長かったらプロモーションができません」って言ってきた。「じゃあプロモーションしなくていいです」って言ったんです。「この曲の長さの意味をわかってくれる人は絶対にいるから、そういう人だけでいい」と。無理にみんなに聴いてもらわんでもいいから、プロモーションなんかせんでいい。私はもうこのままいくんやと。
ラジオ局でもテレビ局でもカットせずにフルで歌わせてもらえる番組だけに出演させていただいたり、曲を流していただいたりしていたんですね。テレビのオファーもたくさんあったのですが、ほとんどの番組から「カットしてください」と。でもその度に「オファーは大変ありがたいのですが、この曲はカットできるところがないからフルで歌わせていただけないのであれば大変申し訳ないのですが、お断りさせていただきます」と一年間ずっと言い続けました。その中でも「フルでいいから歌ってください」と言ってくださった番組にだけ出演させてもらっていました。
だから「紅白だからカットします」というのは他の番組に申しわけが立たなくなる。たとえ紅白歌合戦といえども、「そういう経緯があるので歌詞をカットしなければいけない場合は出演は断らせていただきます」と。その想いを紅白の方も組んでくださって、約10分の曲の前奏や間奏をカットした8分くらいのバージョンで、歌詞はフルコーラスで歌わせていただけました。
そうやって1年間かけてやってきたわけですが、一人ひとりの尺が短い紅白で、フルコーラス歌ったことが「生意気や」と言われて叩かれたみたいで。いろんな人にいろんなことを言われて落ち込んだこともありましたけど、人の考え方はそれぞれやし、何が真実かどうかなんて表面だけやとわからないから。
千原
売れなかった時代もあり、いろいろな経験があったから、ヒットする大変さを含めて今のナチュラルな自分に持っていけたんじゃないでしょうか。
Ka-Na
本当に仰る通りです。いろんな経験をさせていただいたおかげです。

プロフィール

8歳の時、映画『サウンド・オブ・ミュージック』を見て、その世界観に感銘を受け、歌手になることを決意。
2002年1月、独学でアコースティック・ギターと同時に、作詞・作曲も始める。
2005年5月11日、シングル「大切な人」でメジャーデビューを果たす。
2010年3月にリリースしたミニアルバム『わたしのかけらたち』に収録された「トイレの神様」が各方面で驚異的な反響を呼び、オリコン・有線・着うた(R)ランキングなどの各チャートで、上位を長期的に賑わすロングヒットを記録。同曲は2010年11月にシングルカットされ、「日本レコード大賞」で優秀作品賞と作詩賞のW受賞。「NHK紅白歌合戦」への初出場も果たし、2010年を代表する1曲として、多くの人に愛される曲となった。
2011年、仕事で訪れたアメリカテネシー州のナッシュビルで、日本とアメリカの文化や価値観の違いに衝撃を受け、翌年2012年にギターを一本抱えて、一人で約2ヶ月間の音楽武者修行を敢行。ニューオリンズ、ナッシュビル、NYなど、各地でストリートライブや飛び入りライブをする日々を送る。
2013年1月29日、前年のアメリカ一人旅で知り合ったジャズドラマー清水勇博氏と結婚。
2015年1月27日第一子となる男子を出産。
2016年末、家族でNYへ移住。
2017年にはカーネギーホール、2018年には ケネディーセンターなど、著名な場所でパフォーマンスを行い、2018年8月27日、FCI放送局ニュース番組「FCI News Catch!」のテーマ曲「Happiness」の発表を機に、正式にアーティスト名を植村花菜から「Ka-Na」に改名。
同年秋には、スザンヌ・ヴェガのプロデューサーとして知られるスティーヴ・アダボを迎え、外国人ミュージシャンと共にEP「Happiness」を制作。
透明感溢れる歌声と親しみのあるキャラクターで、多くの人々を魅了するKa-Na(植村花菜)。母親となった彼女は、また新境地を拓きながら、音楽の道をひたすら歩み続けてゆく。

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