TALK EVENT #3(前編) 女優  安達祐実 「〝大海原で浮き輪を見つけた〟気分になれるまで」TALK EVENT #3(前編) 女優  安達祐実 「〝大海原で浮き輪を見つけた〟気分になれるまで」

女優、安達祐実。
そして、一人の女性としての安達祐実。

そこには「女の子の人生を応援する」すべてがあった。
しなやかさも、弱さも、美しさも、かわいさも、すべて。

コミューンの会場に集まった女性の想いが伝染し、安達祐実さんは赤裸々に自身の体験を話してくれた。
───女の子に勇気を与える言葉の数々。

誰かが決めた〝正解〟という枠から抜け出した。
そんな〝わたし〟を肯定してくれる人がいた。
そして〝わたし〟は、自由へと解き放たれた。

〝自分らしさ〟は、自分の中の〝好き〟にある。

安達祐実の生き方

安達祐実の生き方

憧れの俳優さんに「素敵な女優さんになりなさい」と言われたので、「自分は素敵な女優さんになるんだ」と決めた。

千原

「女の子の人生を応援する」という大きなテーマで、安達祐実さんの生き方について伺っていきます。芸歴が長いですよね。おそらくここにいる人の中で最も働いてきたと思うのですが。

「女の子の人生を応援する」という大きなテーマで、安達祐実さんの生き方について伺っていきます。芸歴が長いですよね。おそらくここにいる人の中で最も働いてきたと思うのですが。

安達

そうかもしれません(笑)。みなさんお若いですし。芸歴35年、9月から36年目に入ります。

そうかもしれません(笑)。みなさんお若いですし。芸歴35年、9月から36年目に入ります。

千原

35年働いていると、いろんなことがありますよね。

35年働いていると、いろんなことがありますよね。

安達

いろいろありましたね(笑)。2歳でこの仕事を始めました。最初の頃はモデルとCM。それからドラマのオーディションを受けましたが、全て順調だったというわけではなく、オーディションはたくさん落ちました。いくつかその中で受かるものも出てきて。

いろいろありましたね(笑)。2歳でこの仕事を始めました。最初の頃はモデルとCM。それからドラマのオーディションを受けましたが、全て順調だったというわけではなく、オーディションはたくさん落ちました。いくつかその中で受かるものも出てきて。

千原

きっかけを掴んだ作品は何ですか?

きっかけを掴んだ作品は何ですか?

安達

みなさんに顔を覚えてもらえるようになったのはハウス食品のカレーのCM。「具が大きい」というセリフで、みなさんから「カレーのCMの子だ」と言ってもらえるようになりました。当時、8歳くらいだったと思います。

みなさんに顔を覚えてもらえるようになったのはハウス食品のカレーのCM。「具が大きい」というセリフで、みなさんから「カレーのCMの子だ」と言ってもらえるようになりました。当時、8歳くらいだったと思います。

千原

習字で「具が大きい」というやつですね。

習字で「具が大きい」というやつですね。

安達

そうです。ただ、それとは別で、仕事に対しての向き合い方が変わったきっかけが私の中にはあって。5、6歳の頃に決まった初めてのドラマで、NHKのスペシャルドラマでした。私の役柄は泣くお芝居があって、オーディションで「泣け」と言われたんです。

そうです。ただ、それとは別で、仕事に対しての向き合い方が変わったきっかけが私の中にはあって。5、6歳の頃に決まった初めてのドラマで、NHKのスペシャルドラマでした。私の役柄は泣くお芝居があって、オーディションで「泣け」と言われたんです。

安達祐実の生き方

安達

当時の私にはそれができなくて、泣けなかった。泣くことができないことに泣きました(笑)。オーディションにならないから「帰っていいよ」と言われて。ロビーに出るとマネージャーさんと母がいて「どうして泣いているの?」って。子ども心に「できなかった」と言うことが恥ずかしいのと、怒られるんじゃないかという不安から、とっさに「監督さんにぶたれた」と答えてしまって。

当時の私にはそれができなくて、泣けなかった。泣くことができないことに泣きました(笑)。オーディションにならないから「帰っていいよ」と言われて。ロビーに出るとマネージャーさんと母がいて「どうして泣いているの?」って。子ども心に「できなかった」と言うことが恥ずかしいのと、怒られるんじゃないかという不安から、とっさに「監督さんにぶたれた」と答えてしまって。

千原

嘘をついたんですね(笑)

嘘をついたんですね(笑)

安達

そうしたらNHKだったし、大問題になったんです。「監督が暴力をふるった」と。でも、同席していた大人たちは事情が分かるじゃないですか。結果、何事もなかったようにドラマに受かっていました。

その時のお父さん役が柴田恭兵さんでした。私、子どもの頃から柴田さんが大好きだったんですね。全ての撮影が終わり、打ち上げの時に柴田さんに「これからは嘘をつかないで素敵な女優さんになりなさい」と言われて、その時、「あ、みんな知ってるんだ」って。
なお且つ共演した憧れの俳優さんに「素敵な女優さんになりなさい」とも言われて、その言葉で「私は素敵な女優さんになるんだ」と決めました。そこではじめて俳優という職業を自覚したような気がします。

そうしたらNHKだったし、大問題になったんです。「監督が暴力をふるった」と。でも、同席していた大人たちは事情が分かるじゃないですか。結果、何事もなかったようにドラマに受かっていました。

その時のお父さん役が柴田恭兵さんでした。私、子どもの頃から柴田さんが大好きだったんですね。全ての撮影が終わり、打ち上げの時に柴田さんに「これからは嘘をつかないで素敵な女優さんになりなさい」と言われて、その時、「あ、みんな知ってるんだ」って。
なお且つ共演した憧れの俳優さんに「素敵な女優さんになりなさい」とも言われて、その言葉で「私は素敵な女優さんになるんだ」と決めました。そこではじめて俳優という職業を自覚したような気がします。

千原

それが6歳。

それが6歳。

安達

そうですね。

そうですね。

『家なき子』時代の苦悩

『家なき子』時代の苦悩

20代は結構大変でしたね。思うように仕事ができなかったし、何をやっても昔の自分を崩せない。だからうまくいかない。

千原

このトークシリーズは「女性の生き方」がテーマですが、安達さんの場合は時間的にそれ以前の話ですね。子どもの生き方。一般的には、その年齢はまだ小学生や中学生で、まだ誰も仕事をしていない。その頃から一生懸命やってきたんですよね。

このトークシリーズは「女性の生き方」がテーマですが、安達さんの場合は時間的にそれ以前の話ですね。子どもの生き方。一般的には、その年齢はまだ小学生や中学生で、まだ誰も仕事をしていない。その頃から一生懸命やってきたんですよね。

安達

94年の『家なき子』の頃からは、本当に一生懸命やってきたと思います。でも、『家なき子』がピークで、そこから少しずつ仕事は減っていきました。途切れたわけではないのですが、あの頃の忙しさが尋常ではなかったので。ドラマを撮影して、昼休憩中に食事をしながら取材を5本受けて…という感じで。学校は試験だけを受けて、その他は仕事。多忙な日々から、次第に一日休みができる、というペースに生活が変わっていく。そうしているうちに「あ、このまま仕事がなくなるんだな」って。「存在価値がない」とか「死のうかな」とか、めちゃくちゃ考えていましたね。

94年の『家なき子』の頃からは、本当に一生懸命やってきたと思います。でも、『家なき子』がピークで、そこから少しずつ仕事は減っていきました。途切れたわけではないのですが、あの頃の忙しさが尋常ではなかったので。ドラマを撮影して、昼休憩中に食事をしながら取材を5本受けて…という感じで。学校は試験だけを受けて、その他は仕事。多忙な日々から、次第に一日休みができる、というペースに生活が変わっていく。そうしているうちに「あ、このまま仕事がなくなるんだな」って。「存在価値がない」とか「死のうかな」とか、めちゃくちゃ考えていましたね。

千原

そんな精神状態になってしまうの? 一度ブレイクした人の悩みですね。

そんな精神状態になってしまうの? 一度ブレイクした人の悩みですね。

安達

ある意味、まだ子どもだったのがよかったのかもしれません。お酒も飲めないし。

ある意味、まだ子どもだったのがよかったのかもしれません。お酒も飲めないし。

千原

逃げるところがないもんね。

逃げるところがないもんね。

安達

真っ向から立ち向かって、ちょっとだけ病んで…それくらいで済んだ。

真っ向から立ち向かって、ちょっとだけ病んで…それくらいで済んだ。

千原

だんだん仕事がなくなってきた時って、「終わっていくのかな?」という感じですか?

だんだん仕事がなくなってきた時って、「終わっていくのかな?」という感じですか?

安達

そうですね。このまま仕事がなくなって、芸能人として終わっていく。下り坂にいるということは自覚していました。

そうですね。このまま仕事がなくなって、芸能人として終わっていく。下り坂にいるということは自覚していました。

千原

それはすごいですね。普通なら、それを感じるのはもっと大人になってからだと思うんですよ。子どもの頃にそれを経験した人はほとんどいないんじゃないでしょうか?

それはすごいですね。普通なら、それを感じるのはもっと大人になってからだと思うんですよ。子どもの頃にそれを経験した人はほとんどいないんじゃないでしょうか?

『家なき子』時代の苦悩

千原

20代はいかがでしたか?

20代はいかがでしたか?

安達

20代は別の意味で苦しかったですね。仕事も全然うまくいかなかった。男の人もそうかもしれませんが、女優さんってプライベートと仕事の境目が難しいんですね。私は、24歳で結婚して、出産して…

20代は別の意味で苦しかったですね。仕事も全然うまくいかなかった。男の人もそうかもしれませんが、女優さんってプライベートと仕事の境目が難しいんですね。私は、24歳で結婚して、出産して…

千原

人生自体が早いですね。24歳と言えば大学を卒業してからまだ2年しか経っていないほどの年齢ですからね。

人生自体が早いですね。24歳と言えば大学を卒業してからまだ2年しか経っていないほどの年齢ですからね。

安達

そう考えてみると、確かにそうですね。あと、童顔だし、子役の頃のイメージがみなさんの中でも強かったので、結婚に対してポジティブに受け入れてもらえない雰囲気がありました。そこから仕事がうまく回らないという時期がはじまり…20代は結構大変でしたね。思うように仕事ができなかったし、何をやっても昔の自分を崩せない。だからうまくいかない。

そう考えてみると、確かにそうですね。あと、童顔だし、子役の頃のイメージがみなさんの中でも強かったので、結婚に対してポジティブに受け入れてもらえない雰囲気がありました。そこから仕事がうまく回らないという時期がはじまり…20代は結構大変でしたね。思うように仕事ができなかったし、何をやっても昔の自分を崩せない。だからうまくいかない。

千原

『家なき子』時代のイメージが強烈でしたもんね。『男はつらいよ』の渥美清さんみたいなものですよ。

『家なき子』時代のイメージが強烈でしたもんね。『男はつらいよ』の渥美清さんみたいなものですよ。

安達

そうですね(笑)。そう言ってもらえるといい感じになります。

そうですね(笑)。そう言ってもらえるといい感じになります。

千原

渥美清さんだって、寅さん以外の役をやってもイメージがついているからなかなかできない。

渥美清さんだって、寅さん以外の役をやってもイメージがついているからなかなかできない。

安達

そうですね(笑)。だから、途中で諦めかけました。「もうこのイメージは崩せない」と思って。

そうですね(笑)。だから、途中で諦めかけました。「もうこのイメージは崩せない」と思って。

千原

『家なき子3』をやればよかったんですよ。

『家なき子3』をやればよかったんですよ。

安達

逆に?

逆に?

千原

主人公のすずちゃんがちょっと大きくなっている。

主人公のすずちゃんがちょっと大きくなっている。

安達

なるほど。まだちょっとその勇気はなかったです(笑)。今なら余裕でがま口財布を首からぶら下げますよ(笑)。

なるほど。まだちょっとその勇気はなかったです(笑)。今なら余裕でがま口財布を首からぶら下げますよ(笑)。

profile

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1981年9月14日生まれ。東京都出身。2歳でデビューし、活動を始める。
1994年ドラマ「家なき子」(日本テレビ系)で主演を演じ、脚光を浴び、一躍注目を集める。
以降、女優として数多くのドラマや映画に出演し、今年、芸能生活35周年を迎えた。