女の子の人生、きいてみよう #06 後編

目の前のことをひとつひとつやっていくこと

シンガーソングライター Ka-Na(植村花菜)

自分で選ぶこと。
それは、責任を背負うこと。

Ka-Naさんの歌声が響く。
14年分の思い出を込めた特別な10分間。
それは、聴き手の心の中で、それぞれの記憶とリンクする。
「あなた」の歌が、「わたし」の歌として流れはじめる。
気が付けば泣いていた。

選んだものを大切にする。
大切にしたものに責任をもつ。
これは決意表明だ。
そして、それは人生の宝物になる。

Ka-Naさんの言葉は、足踏みしたわたしの背中を押してくれた。

カントリーミュージックの聖地で受けた衝撃

カントリーミュージックの聖地で受けた衝撃

日本語の歌詞からしか生まれない美しいメロディを日本語のまま聴いて欲しい。

千原
今、お子さんはおいくつですか?
Ka-Na
5歳になります。彼が2才になる前にNYに引っ越しまして、息子からすると日本よりもNY歴の方が長くなりました。
千原
「トイレの神様」がヒットして、次のステップにいくというところで、そこからはもう一つの人生───結婚して子どもを産むという時期に。そちらの夢もありますね。
Ka-Na
27歳の頃にあの曲が出て、翌年、ドキュメンタリー番組のお仕事で生まれてはじめてアメリカに行ったんです。テネシー州のナッシュビルというカントリーミュージックの聖地に行き、衝撃を受けました。カントリーミュージックの重鎮のおじいさんと出会いました。私は昔から、自分のことよりも家族のことを一番に思っていて、そのことをおじいさんに話したら、「Ka-Na、自分のやりたいことのためには、時に家族のことを置いてでもやらなきゃいけないことがあるんだよ。家族のことばかり考えていないで自分の幸せを考えなさい」と言われた。今まで、そんな発想はありませんでした。アメリカってとにかく自分が大事。自分が何をしたいのかということが求められる文化で。自分が「こうしたい」というはっきりとした意志がなければ話さえしてもらえない。「自分のことを大事に考えていいんだよ」ということを身を持って感じれたことがすごく大きかった。

通訳さんもいて、寝るところも食べるところも全部用意してもらって、全てお膳立てしてもらった状況でさえこれほど影響を受けるということは、一人で旅をしたらどれほど刺激をもらえるんだろう、と。それで、29歳の時に一人で二ヵ月ほどギターを背負ってアメリカを旅しました。友だちもいない、英語もできない、泊まるところも決めずに、行き当たりばったりの旅。ストリートライブをしたり、ライブハウスに飛び込んで「歌わせてほしい」と片言の英語でお願いしてライブをやったり。旅の間中、毎日そういう生活をしていました。すごく楽しかった。「やっぱり、これや」と。

私はこれから音楽に邁進するんやって。子どもの頃からの理想は29歳で結婚して、子どもを4人産むということでした。でも「結婚している場合ちゃう。あと5年くらい彼氏はいらん」と。日本の仕事を全部やめて、NYに引っ越して、わたしは音楽だけのために生きていくんや、と。そんな思いで旅をして、最後NYを訪れた時、NYに住んでいた今の旦那さんと出会うことに。ほんで、出会って二週間で付き合って、あれよあれよとその7ヵ月後には結婚していました(笑)。
カントリーミュージックの聖地で受けた衝撃
千原
「トイレの神様」で一度ヒットして、ある種いろんなことが許せるようになって、今のナチュラルな自分になれた。その流れの中で旦那さんとの出会いや結婚、出産もすんなりいけた感じがありますね。
Ka-Na
そうですね。何の迷いもなかったです。付き合って3日で「この人と結婚する」と思った。その後、なぜNYに住むことにしたかというと、もちろん自分の学びたいことがNYにあるからというのもあるのですが、もっと垣根を越えて行きたいという思いがあります。J-POPというのは日本にしかない音楽だと思うんですね。私、日本語でも英語でも両方歌をつくるんですけど、基本的に詞が先です。歌詞ができると、「私はこんなメロディですよ」って歌詞が私に歌いかけてくれるんですよ。その時、日本語の歌詞が持っているメロディと、英語の歌詞がもっているメロディって違っていて、表現の仕方も、イントネーションも違う。
J-POPというのは日本語の歌詞からしか生まれてこない。つまり、世界中に日本しかないもので。それってすばらしいことだと思うし、それを世界にも広めていきたいんです。音楽って言葉の壁がないというけど、歌詞があると壁ができちゃう。本当の意味で言葉の壁をなくしたい。
アメリカのみならず世界中で、日本語の歌詞からしか生まれない美しいメロディを日本語のまま聴いて欲しい。そのためには共通言語である英語も学ばないといけないし、NYは世界の中心だから、NYでいろいろなことを体験して、勉強して、他の国や地域の文化も勉強したい。
千原
日本語の歌がNYで歌われていたらおもしろいですね! 最近、海外で竹内まりやさんがブームになっているのもうれしいですもん。
Ka-Na
そうですよね。昔に比べたら日本の文化を受け入れてもらいやすい空気がNYにもあります。現地に住んで、実際の風を感じて、いろんな人たちを見ないとできないことがある。長い目で見て、大きな夢に挑戦したいなって思っています。どこまでできるかわからないですけど。

どう転んでも楽しいんですよ。今なんて貯金を切り崩して生活していますからね。NYではまだ十分なお金を稼げないし、物価もめっちゃ高いし。お母さんになると自分のペースで仕事もできません。でも、やり方を考えれば母親になっても自分のやりたいこともできるし、好きな人生を生きることができる。英語が全然できない状態でNYに行ったわけで、大人になってからでもいくらでも勉強できるということを実践して、やりたいことがあるけど自信がなくてできないという方に向けて、「やりたいことがあるんやったら迷わずやった方がいいよ」と身体を張って表現して伝えたいと思っています。
千原
海外に行ってそういうニュースを聴いたりするのは励みになります!

質疑応答

質疑応答

(参加者)私は緊張しやすいのですが、緊張しないために心掛けていることはありますか?

Ka-Na
すべての人に参考にならないと言われた答えなんですけど、私はもともとめちゃめちゃ上がり症で。例えば小学生の頃、国語の授業で、教科書の本読みが当たるだけで吐きそうになっていたんです。
千原
それ僕も。絶対に当たりたくなかった。
Ka-Na
それほどのあがり症だったのに、19歳の頃、ストリートミュージシャンとして歌を歌い始めたんですね。半年くらい経った時に「ライブハウスでやってみないか」と誘われて歌った人生初のライブハウスのお客さんはたった3人。それも対バンの人を見に来たお客さんだったので、私のお客さんは0。それでも、その時もめちゃめちゃ緊張していました。
その後、人生2回目のライブがいきなり300人くらいの前で歌わなきゃいけないという、とんでもなくおそろしい事態。心臓が口から飛び出るとはこのことかとホンマに思うくらいめちゃくちゃな緊張でした。2曲しか歌わなかったんですけど、1曲目で声が上ずって全然うまく歌えず、2曲目でなんとかちょっとだけ落ち着いて、終了。ステージが終わった後にめちゃめちゃ落ち込んで。「緊張したらこんなにも思うように歌えへんねや」と。その時、「私は金輪際絶対に緊張しない」と心に固く誓ったんです。
ほんなら次のライブから全然緊張しなくなった。要するに自己暗示ですよね。悔し過ぎたんですよ。歌がヘタクソ過ぎて、人前で歌うということよりもそのことが恥ずかし過ぎて、自分に負けたことが悔し過ぎた。誰にこの話をしても「参考にならない」って言われるんですけど(笑)。
千原
たしかに参考にしづらいかも(笑) 僕が人前で緊張しなくなったきっかけは金髪にしたことですね。まだペーペーの頃、十数人の役員クラスの前で、広告キャンペーンのプレゼンをしなくちゃいけない機会がありました。僕って黒髪だと「なんか君、大丈夫?」みたいな子に見えるんですよ。クライアントさんが不安になる感じ。そういう子って特におじさんにツッコまれやすいんですよね。それが怖くて、美容師さんに金髪にしてもらった。そうしたら鎧を被ったような気分になって。おじさんたちも「なんか、アーティスティックな人が来たな」みたいな感じで、ツッコミにくくなった。話が通じなそうみたいな。そこですごく楽にしゃべれた。そこからもうこの髪です。
質疑応答

プロフィール

8歳の時、映画『サウンド・オブ・ミュージック』を見て、その世界観に感銘を受け、歌手になることを決意。
2002年1月、独学でアコースティック・ギターと同時に、作詞・作曲も始める。
2005年5月11日、シングル「大切な人」でメジャーデビューを果たす。
2010年3月にリリースしたミニアルバム『わたしのかけらたち』に収録された「トイレの神様」が各方面で驚異的な反響を呼び、オリコン・有線・着うた(R)ランキングなどの各チャートで、上位を長期的に賑わすロングヒットを記録。同曲は2010年11月にシングルカットされ、「日本レコード大賞」で優秀作品賞と作詩賞のW受賞。「NHK紅白歌合戦」への初出場も果たし、2010年を代表する1曲として、多くの人に愛される曲となった。
2011年、仕事で訪れたアメリカテネシー州のナッシュビルで、日本とアメリカの文化や価値観の違いに衝撃を受け、翌年2012年にギターを一本抱えて、一人で約2ヶ月間の音楽武者修行を敢行。ニューオリンズ、ナッシュビル、NYなど、各地でストリートライブや飛び入りライブをする日々を送る。
2013年1月29日、前年のアメリカ一人旅で知り合ったジャズドラマー清水勇博氏と結婚。
2015年1月27日第一子となる男子を出産。
2016年末、家族でNYへ移住。
2017年にはカーネギーホール、2018年には ケネディーセンターなど、著名な場所でパフォーマンスを行い、2018年8月27日、FCI放送局ニュース番組「FCI News Catch!」のテーマ曲「Happiness」の発表を機に、正式にアーティスト名を植村花菜から「Ka-Na」に改名。
同年秋には、スザンヌ・ヴェガのプロデューサーとして知られるスティーヴ・アダボを迎え、外国人ミュージシャンと共にEP「Happiness」を制作。
透明感溢れる歌声と親しみのあるキャラクターで、多くの人々を魅了するKa-Na(植村花菜)。母親となった彼女は、また新境地を拓きながら、音楽の道をひたすら歩み続けてゆく。

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