女の子の人生、きいてみよう #03 中編
〝大海原で浮き輪を見つけた〟気分になれるまで
女優 安達祐実
女優、安達祐実。
そして、一人の女性としての安達祐実。
そこには「女の子の人生を応援する」すべてがあった。
しなやかさも、弱さも、美しさも、かわいさも、すべて。
コミューンの会場に集まった女性の想いが伝染し、安達祐実さんは赤裸々に自身の体験を話してくれた。
───女の子に勇気を与える言葉の数々。
誰かが決めた〝正解〟という枠から抜け出した。
そんな〝わたし〟を肯定してくれる人がいた。
そして〝わたし〟は、自由へと解き放たれた。
〝自分らしさ〟は、自分の中の〝好き〟にある。
〝私が好きに生きていても受け入れてくれる人がいる〟
        今は〝大海原で浮き輪を見つけた〟みたいな気分です。
- 千原
 - 今はナチュラルにされていますよね。
 - 安達
 - 自由にやっています(笑)。
 - 千原
 - そのような経験を経て〝自分らしく〟というところに辿り着いた感じがありますよね。
 - 安達
 - そうですね。ここまでくると、「こんなに楽なのか」と思って。泳いで渡って来てよかった、今は〝大海原で浮き輪を見つけた〟みたいな気分です。
 
        - 千原
 - 僕と安達さんが知り合ったのは一昨年ですよね。知り合う前は、テレビの中の人というレベルだった。だから、今言っていたようなことを普通の一視聴者として感じていました。でも、数年前からすごく自分らしく仕事をされていて。「新しい一面が出てきているなぁ」と感じていたら、仕事の現場でいろんなフォトグラファーの方と「最近、安達祐実さんいいよね」と話が出るようになったんです。クリエイターの中で名前が出てくるようになっていった。
 - 安達
 - それはすごくうれしいですね。
 - 千原
 - 今のように〝自分らしく生きる〟ことのきっかけはあったのですか?
 - 安達
 - 
              それは間違いなく、今の主人と出会ったことです。それまでは、自分が欲するよりも「人が喜ぶことや望むものを与える」ということが自分の役割だと思って生きてきました。ですが、主人からは「何も求められない」。どんな服を着ていても、どんなメイクをしていても、私がどういう状態であれ、カメラマンである彼はとりあえずシャッターを切る。
〝受け入れられる〟感じを味わった時に、「人って私にそれほど大きな期待をしていないのかな」ということに気付くことができた。「私が好きに生きていても受け入れてくれる人がいるんだ」って。そうしたら「じゃあ好きなように生きればいいじゃないか」って。 - 千原
 - なるほど。子どもの頃は、「視聴率36%」とか「安達祐実が出れば視聴率が取れる」など、そういったわかりやすい期待の中で生きてきた。その中で「別に何も求められていない」ということに気付けたのはよかったですね。
 - 安達
 - そうですね。〝求められていないこと〟がネガティブなことではなかった。そこに気付けたことは大きかったです。
 
        - 安達
 - ずっと自分のことを〝つまらない人間〟だと思っていて。お芝居をしていなかったら───求められたことを返すことができなければ、自分には価値がないと思っていました。
 - 千原
 - みんなそうじゃないでしょうか? 僕も仕事をしていなかったら本当にただのつまらない…
 - 安達
 - ただのつまらない人はそんな帽子をかぶらない(笑)。
 - 千原
 - いや、だから、本当にただのつまらない人間なので、こんな大きなメガネをかけて、こういう帽子をかぶっているという感じです。
 - 安達
 - なるほど。
 - 千原
 - そこは同じだと思います。普段からめちゃくちゃおもしろい人とかいるじゃないですか。ああいうタイプじゃない。
 - 安達
 - いますよね、話がうまかったり、何に対しても好奇心旺盛だったり。私、何にも興味のない人だったから。だから「こんな私でもおもしろがってくれる人がいるんだなぁ」って。それはすごく「自分を自由にしてくれる経験だなぁ」と思いました。
 - 千原
 - 僕も8年前に会社を作った時は「おもしろい作品をつくらなきゃ」という想いが強かった。「つくらなきゃ消える!」くらいに思っていました。広告やデザインって、〝おもしろいものをつくってなんぼ〟という価値観があるから、一生懸命おもしろいものをつくって、自分がいかにおもしろい人間であるのかということをアピールして…ということで精一杯だった。でも、最近になって、世の中の人やクライアントさんに「もっともっとおもしろいと思ってもらわなきゃ」というよりも、自分が「これ、おもしろいね」と思うことの方が意外とナチュラルに自分の作品になっている───〝自分らしさ〟になってくるということに気付きました。
 
        - 安達
 - 抜きに出るために、「人と違うことをしなくちゃいけない」という感覚はありましたか?
 - 千原
 - 
            ありましたね。いろんな人の作品を見る中で「今、これが流行っているからこれはやめておこう」とか。〝自分らしさ〟を見つけるために、一生懸命考えたりしていましたけど、もはや〝自分らしさ〟を探している地点で自分らしいものになっていない気がするんですね。だから、結局は素のままだったり、「今、これがおもしろい」と思うこと───昨日見た映画の印象的なシーンをそのままアイディアの中に入れ込んで、とか。
「昨日見たばかりだからパクリになっちゃうな」と考えずに、「昨日見たものがすごくおもしろかったから、こういう形になりました」くらいのスタンスでモノづくりをしていく。そうすると精神的に健康的になって、より自分らしい作品をつくることができるようになっていきました。だから、だんだん帽子とかも外していくんじゃないですかね。 - 安達
 - 一つ一つね、置いていく(笑)。
 - 千原
 - 引退していくみたいな(笑)。素の自分、ありのままの───裸の自分になっていく。生きていくことや、生き残っていくことの大変さのようなものを考え過ぎていたのかもしれません。
 
        「自分がキャスティングしてもらったんだから、私をキャスティングしただけの何かがなければいけない」と強く思っていました。
- 安達
 - 例えば、ものすごくお芝居が下手だったとしても、私がやるA子さんはわたしにしかできないし、誰かがやるA子さんは私にはできない。〝私らしく〟そのままやれば、私なりの何かになる。それは最近感じることです。
 - 千原
 - でも、めちゃくちゃ演技上手ですけどね。
 - 安達
 - でも、自分で見ると「下手だなぁ」って思いますよ。『家なき子』を大人の私が見るとすごく下手。でも、あの時のお芝居は、あの時の私にしかできない。その初々しさや粗削り感もいいのかなって。それをみんながおもしろく見てくれたなら、それでいいのかなって思うようになりました。
 
        - 千原
 - 大学生の頃、映画館でもぎりのバイトをしていたことがあって。その時、小さな映画館で『大島渚全作品』というものがあった。それは大島渚監督の作品を全て上映するという特集で、僕はバイトで劇場に入っていたので全ての作品を見たんですね。
 - その中で印象的だったのがキャスティングについて話していた大島渚監督へのインタビュー動画。大島監督は、キャスティングをした地点で、その人に演技力を求めていないんです。その人のそのままでやって欲しいから、その人を選んでいる。だから大島監督にとってキャスティングは役者だけでなく、世の中の人全員が対象なんです。
 - 『戦場のメリークリスマス』では主演がミュージシャンであるデビッド・ボウイ。他には坂本龍一さん、それから役者として初出演するビートたけしさん。主要メンバーが全員役者じゃないんです。
 - その言葉はね、バイトしながら見ていて、未だに胸に刺さっている。自分も広告を作ったり、映像を撮ったりする上で参考にしています。コピーを書いてもらうのも、コピーライターである必要はなく、そこにハマる人であれば誰でもいいんじゃないかって。
 - 安達
 - なるほど。職種で決める必要はない。
 - 千原
 - 本当に〝その人らしさ〟で来てもらえばいいと思うんですよ。
 - 安達
 - でも、それってちょっと冒険じゃないですか?
 - 千原
 - でもなんかね、冒険くらいの方がいいんですよ。コピーライターがコピーを書いて賞を獲ったとかつまらない。全然関係ない歌手の人に詞を書いてもらうようにコピーを書いてもらうとか。そういう方がおもしろいなぁと思います。
 
        「次にオファーが来た時に〝これは絶対に安達さんにやってもらいたい!〟と思ってもらえるような自分になろう」
- 千原
 - 「こんな役やりたい」という欲はありますか?
 - 安達
 - 今までにいろいろな役をさせてもらってきて今思うのは、自然にお芝居ができるのが一番いいですね。
 - 千原
 - 「悔しい」とかはないんですか?「この役やりたかった」とか。
 - 安達
 - それはね、仕方がないと諦めます。映画のキャスティングに入れる可能性があることを聞きますよね。「やりたい!」と思っても、別の人に決まったりすることもあるし、スケジュールがうまくいかない時もある。入れない理由は様々ですが、理由は何にせよ「仕方がない」と思います。「次にオファーが来た時に〝これは絶対に安達さんにやってもらいたい!〟と思ってもらえるような自分になろう」という感じですね。
 - 千原
 - 達観されていますね。
 - 安達
 - マネージャーさんはね、多分私よりも悔しがったりしてくれていると思うんです。それは仕方がないよ、次までにがんばろうって。
 
