女の子の人生、きいてみよう #07 中編

手放して、旅に出る     

アーティスト KOM_I(コムアイ)

自分で考えて、自分で選ぶ。
誰かが決めた正解に、従っているだけでは、本当の意味で“前進”しない。

「さあ、わたし」

大きく息を吸おう
世界は広がっている
知らない「どこか」がわたしを待っている
もっと遠くへ

探して、学んで、深めてゆく。
手に入れたものと、手放したもの。
みんなでそれを出し合って、共有した時間。
本当の答えに辿り着くために、たくさんの間違いを許容する。

コムアイさんのつくる「対話の場」。

そこには、自由と愛がありました。

“水曜日のカンパネラ”とコムアイ

“水曜日のカンパネラ”とコムアイ

それまでは、鹿の解体に興味がありました。

コムアイさんが“水曜日のカンパネラ”として音楽活動をはじめたきっかけは、メンバーのDir.Fさんに誘われたこと。「主体性、ゼロ」と笑いながら話すコムアイさんの姿が印象的でした。知識と経験を獲得してゆく中で、“コムアイ”の哲学は育まれていきました。

コムアイ
高校生の頃、学校に行きながらいろんな体験をしたいと思って、畑で農作業をしていました。一ヵ月ほど農場に住まわせてもらい、毎日養鶏場に行き掃除をしたり、ごはんをあげたり、卵を拾ったり。養豚場では、豚さんのうんちをかき集めたり。それから畑仕事をする。そんな日々を体験させてもらいました。

食物がどこから来て、どこに捨てられていくのか。野菜は土から来ているのか。肉も魚も、スーパーでは切り身として販売されている。本当に“生き物”だったのかという実感がない。あるいは、自分の捨てたゴミはどこへ行くのか。燃やされたり、埋め立てられたりするけれど、どこかで限界が訪れるんじゃないか。果てしなく続くとは思えない流れに、違和感を覚えていました。

わたしが都会で生活しているのは、大きな循環の一部分でしかない。だから、全体像を見たいと思ったんです。自分が担当している範囲の“前と後”を知って、生活の中でそれを感じながら生きることがいいんじゃないかと思って。

お世話になった農場は規模が小さく、みんなで一緒に生活していました。人間が食べない葉っぱや根っこなどの生ゴミとなる部分を、翌日、鶏や豚の餌として与える。それを見ながら「こうやってお肉になっていくんだ」と、食べ物や生き物がサイクルになっていることがわかる。それを感じながら暮らす日常が気持ちよかったんですね。「世の中の人は、もっとこういうことを体験したらいいのに」と思った。
千原
ある種、僕たちは目を伏せて生きているところはあるよね。
コムアイ
畜産に関わってみて、豚を一頭育てることがいかに大変なのかがわかった。たくさん餌を食べるし、毎日世話をしなくちゃいけない。放牧させるのは大変だから、狭い場所で飼うことになる。好きなように走り回ることができたら、その方が健康だし、気持ちのいいお肉に育つんですよ。

その時、獣害のことを知った。日本は狼が絶滅して、猟師さんも減っている。その中、増えた鹿や猪が畑を荒らしている現実があった。鹿の数を減らさなくてはいけないので、猟師さんは撃つと“獣害駆除”という名目で数万円の報奨金がもらえる。死骸は食用にする必要はなく、食べきれないので埋められたりしていたんです。山の中を自由に走り回り、好きなものを食べて育った“最高の放牧状態”のお肉を埋めてしまうのはもったいない。だから、それを食べる人が増えたらいいなと思った。
コムアイ
そこで、鹿の解体をして注目を集めたいと思ったんですね。鹿の解体に参加してもらって、鹿肉のおいしさを知ってもらえたらいいなって。そういう活動をしていることを話していたら、「一人でやっていても広がらないし、伝えたいことがあるならアーティストになった方が早いよ」と言われた。

それがDir.Fとの出会い。
その時、水曜日のカンパネラに誘われました。
千原
もともとは、鹿を広げたいからだったんですね。そこから歌手活動がはじまったんだ。
コムアイ
そうしたら、音楽の方がおもしろくなってきたんです。舞台で表現することの魅力に惹かれていった。シャーマニックな要素だったり、自分が意図しない次元のことが起きたりする楽しさだったり。

ステージが終わった後に「あの渦は一体何だったんだろう?」と思うし、お客さんも「今、何を共有したんだろう?」という驚きや興奮がある。芸能とは、そういうものだと思うんです。

音楽、踊り、アート、そこからいろいろなものに目覚めていった。学生時代から民俗学が好きだったので、そこと結びついて民俗芸能や郷土芸能、インドの古典音楽など、そういうものをリサーチしたり、実際に身体を通して学びはじめました。
千原
芸能の根本的な魅力や起源を知ることからはじまり、音楽活動もまた新しいステージへと変わっていきましたよね。
コムアイ
カンパネラをはじめた頃は、自分のやりたい音楽というのはなかったんです。目的は「有名になって、みんなに鹿肉を食べてもらうこと」だったから(笑)。活動する中で、少しずつ自分がやりたいことが育っていった。
コムアイ
クラブカルチャーにも大きな影響を受けました。クラブとの出会いは、音楽活動をはじめてからのことで。表でカンパネラの活動をしつつ、夜はクラブで遊んで過ごしていました。メジャーとアンダーグラウンドのカルチャーには分断があって、わたしはクラブでその養分を吸い上げていきました。

自分が学んだことは、途中からカンパネラの中に流入していきました。音楽性やステージングもそうだし、美術や照明などはクラブで出会ったひとたちに依頼するようになった。アンダーグラウンドのカルチャーには魅力的な人がたくさんいて、「こんなにおもしろいものがたくさんあるのに、どうしてみんな見ないのだろう?」と思っていました。

自分がやっていることが“ぐにゃあ”と変わっていった。自分の中ではまっすぐに育っていったのですが、周りから見るとそうではない。“水曜日のカンパネラ”という箱の中で続けることをがんばってみたんです。ただ、わたしよりも周りの人を無理させ過ぎているんじゃないかと思いはじめた。

水曜日のカンパネラを主体として考えた時に、わたし以外のDir.Fやケンモチさんの二人のメンバーに申し訳なくなって。元々、わたしは後から加入した立場でもある。二人に重心を戻さないといけないと思った。

そうしたら、「わたしはカンパネラでやらなくてもいいんじゃないか」と。
千原
確かに、自分だけがずれている状態だもんね。みんななんとかしようと思ってコムアイさんの軸に合わせにいくけど、本来は二人の考え方が主軸だもんね。
コムアイ
Dir.Fもケンモチさんもすごく歩み寄ってくれました。どういう形なら継続できるか、と。ただ、そもそもここまで歩み寄ってもらってまでカンパネラを続ける理由はなくて。もっと自分の在り方があるんじゃないかと思った。
千原
自分が最も「水曜日のカンパネラ」から遠のいている。自分が辞めるのが一番シンプルだもんね。

わたしの中で、まっすぐ伸びる

下着とフェミニズム

武道館からはじまるのだけど、その入り口で「いいや」と思っちゃったんです。

千原
日本武道館のライブ、観に行ったんですよ(2017)。完成度が高くて、「この瞬間を切り取っておきたい」と思った。俯瞰で全体の世界観が見えて、一つの集大成のように感じました。あそこが分岐点になっている気がするんです。
コムアイ
すごい。あそこ分岐点です。

武道館って、登竜門のような存在で。ミュージシャンにとってあそこが入口となっていて、その後にアリーナをツアーしていくスタンダードな流れがあるんですよね。ただ、わたしは武道館のステージを終えた瞬間に「あぁ、もうこのやり方をしていちゃダメだ」と思ったんです。正確に言うと、はじまる前に思っていたのかもしれない。

ポップな手法でステージアップしていくことは容易に想像できる。その上で「そこを登っていきたいか?」と問われると「これじゃないかも」と思った。「続けること」は正義だと思うし、ずっと続けたからこそ見える景色もきっとある。それはとても美しいと思うんですね。

ただ、今回与えられた自分の命や人生を考えた時に、「これじゃないかもしれない」と。
この山を一度下りて、違う山を登りはじめよう。その時、思ったんです。

突然、スパッと切り替えるよりも、誰も傷つけないで変えていきたかった。周りの人が納得できるまで待ちたいし、その後も二年間ほどは「水曜日のカンパネラ」という箱で方向性を変えながらも試行錯誤する期間がありました。
千原
そういう意味では、すごく自然な流れですよね。無理をしてでも「継続する」という選択肢もあるじゃない?苦しくても続けていく、というね。

僕もたまにれもんらいふを終わりにしようと思うことがあるんですね。世の中や周囲がイメージをつくり上げてくれた“れもんらいふ”があって、それでも自分はその先に行かなくちゃいけないという焦りがあったりする。純粋におもしろい表現だけをやっていきたいけれど、たくさんの人が関わっていることによって守らなければいけないものもある。社員がいて、家族がいて、仕事での関わりがいて。「そのためにやらなければいけないと思うことは、どうなんだろう?」と

結局、自分のためにやらなければいけないんですよね。だから、しんどいと感じた時に、それでも続けていくのか、一度終わらせて映画だけをする一人の人間になるのか。そういう葛藤は、日々あります。
コムアイ
カンパネラを辞める前は、実質上“活動休止”状態でした。わたし以外の二人もそれぞれ仕事していて、わたしも音楽活動とは違うプロジェクトを進めていて。

ただ、実際に脱退することを発表すると、変化はありました。気持ちの整理ができていたつもりでしたが、それを内に秘めておくことと表明することには大きな違いがあった。周りの認識と、自分の認識を合致させることの大切さを気付かせてもらいました。人間は不思議な生き物で、明確に区切れないんですよ。世の中の人や、友人や、家族が思っていることと、自分が思っていること。それが合致した時にようやく、自分がまだカンパネラの一部であったことに気付くんです。

脱退を発表した時、それがすっと抜けた感じがして、その空いたスペースに次の風が入り込んでくるのを感じました。

プロフィール

アーティスト。1992年生まれ、神奈川育ち。ホームパーティで勧誘を受けて加入した「水曜日のカンパネラ」のボーカルとして、国内だけでなく世界中のフェスに出演、ツアーを廻る。2021年9月に脱退。
2019年、オオルタイチと屋久島でのフィールドワークをもとに制作した音源「YAKUSHIMA TREASURE」をリリース、公演を重ねる。新しい音楽体験「YAKUSHIMA TREASURE ANOTHER LIVE from 屋久島」をオンラインにて公開中(https://another.yakushimatreasure.com/)。
現在はオオルタイチと熊野に通い新作を準備中。

2020年からはOLAibiとのコラボレーションも始動。
北インドの古典音楽や能楽、アイヌの人々の音楽に大きなインスピレーションを受けながら音楽性の幅を広げている。

音楽活動の他にも、ファッションやアート、カルチャーと、幅広い分野で活動。 2020年にアートディレクターの村田実莉と、架空の広告を制作し水と地球環境の疑問を問いかけるプロジェクト「HYPE FREE WATER」が始動するなど、社会課題に取り組むプロジェクトに積極的に参加している。

KOM_I SNS
Instagram: @kom_i_jp (https://www.instagram.com/kom_i_jp/)
Twitter: @KOM_I (https://twitter.com/KOM_I)

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